父の日コーヒー,母の日コーヒー,敬老の日コーヒー,お中元お歳暮のコーヒーギフトやプレゼントに。北海道札幌のコーヒー専門店【いつもコーヒー】へお気軽にお問合せください。
当店ではご注文後焙煎に徹していますので新鮮かつ風味豊かな美味しいコーヒー豆を販売しております。
プロフィール
山 石 英 市 (やまいし えいいち)
- 昭和35年5月17日、北海道留萌郡小平町生まれ。
※海岸沿いの海と山の綺麗な町、キャンプ場、海水浴場、スキー場などが小さいながらある。
- 男3人兄弟の長男。下の2人と比べておとなしい子だったと思う。
- 小さい頃から水泳、スキー、野球に熱中しとにかく体を動かすことが大好きだった。小学5年からは野球だけに集中し、最終的には甲子園を目指して硬式野球を最後までやり遂げる。現在の体からは想像もできないが、坊主頭でポジションは投手として日々練習していたのだ。
- 中学校では野球と同時にギターに狂う。きっかけはピアノ教室に通うほど音楽好き・楽器好きから来たものだろうと思うが当時男子がピアノを習うのは本当に珍しかったと思う。おじさんからもらったクラシックギターと教本を元に独学でナルシソイエペス「禁じられた遊び」を弾けるようになる。クラシックは何かちがうと感じつつ、当時流行していたのはフォークギター一本で活躍していた吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫などだ。直感でこれだ!とクラシックギターからフォークギターに鞍替えをした。中学の学校祭ではかぐや姫のコピーグループで出演。何グループか出演したけど
結構人気が高くヒーローに気分に成れた。
- とにかく一度はじめたら結果が出るまで止まらない性分のようだ。
- その学校際での浮かれた勘違いはどんどんとエスカレートして行き、大学では作詞・作曲までこなしてフォーク歌手の登竜門コンテスト「ハッピーフォークフェスティバル」の予選会に出るまでに。さすがに札幌地区でのレベルは高く予選で撃沈。当時の自作の楽曲は時々口ずさむものの、使っていたフォークギターは現在も封印されたまま。
- 大学では電子工学を勉強。きっかけは小学生時代の「ラジオ少年」だった。近所の電気屋さんに抵抗やコンデンサー、真空管を取り寄せてもらってはラジオを組み立てていた。おそらく電気屋のご主人には小難しい注文を出す子がいたもんだと思われていたと思う。
- 就職は東京の大手電機メーカーのソフトウェア開発会社で技術者として働きはじめる。納期がまじかになると3連徹までするようなハードな仕事だったが作成したソフトウェアを設置・調整するために日本全国を出張で飛び回れることから苦にもならず鍛えた体力もあって頑張りが効いた。
国内に留まらず海外にも行った。中国の会社とソフトウェアの共同開発することになり責任者として北京に行く。
社会人となっては技術者集団のパフォーマンスを100%発揮できる環境を整えるが大変だったと思う。
- かなりハードに働いたのが原因か、その後体を壊して半年も入院するまでになってしまっていた。その頃からだろうか、仕事帰りに寄るカフェのコーヒーがとても美味しく感じられようになり、コーヒー抜きの生活は考えられなくなっていた。自分でコーヒーを焙煎して色々な味に変えられたらどんなに楽しいだろうと考えるようになり、自宅の六畳和室を焙煎室に改造して本格的な焙煎機を導入。この時まだサラリーマンであった。
- ここから日々コーヒー焙煎の格闘が始まるが素人同然が簡単にローストできるものでは無い。百数十店を超える自家焙煎店への訪問で味を確認し、関連図書、ネット、ロースターに教えを請うたりとあらゆる方法で情報を収集した。コーヒー生産者の方には申し訳無いが納得の行くまでには数百キロの豆を無駄にした。
- 自然にコーヒーと一緒に居たいと考えるようになり、ソフトウェアの仕事を終えてコーヒー焙煎の道を進むことを決心したのが2007年。そこから半年間は簿記やらプレゼンテーション、労働法規制、計画手法などコーヒーを家業とするための職業訓練を偶然にも受けることができた。今も当時の訓練の先生方とはお付き合いがあり暖かい声をかけて頂いている。
- 2008年11月にネットショップ「いつもコーヒー」をオープン。一般のお客様への通信販売やカフェへの卸販売でコーヒー屋としての一歩を踏み出した。私の場合まったくの畑違いからの参入となる。業界というものを知らないがゆえに常識にとらわれずに行動していけるメリットがあると日々考えている。
- 注文を受けてからローストすることに徹底している。一度にたくさんローストするのではなく、一人一人の顔・コーヒーの好みを想像しながらローストするスタイルは合理性で言うとまったくの常識破りだろう。
- 趣味
プロ野球観戦(北海道日本ハムの応援)、ツーリング、映画、コンサートやミュージカルを見に出かけること、料理。